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大阪生まれが日本を沸かす!

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vol.01_たこ焼き

安くてウマい“いちびり”革命

全国で活躍する「もの」のなかには、大阪出身のものが多く存在しています。
言わずと知れた大阪発の「たこ焼き」は、普及とともに偉業を成し遂げてきたようです。

カリッと焼いた表面に、トロリとした中の生地、最後にコリリッの三拍子が揃う「たこ焼き」。食にも財布を開くにも厳しい大阪の街で生まれただけ、安くてウマいたこ焼きは、今や専門店の数が全国で5,000に上るほどの国民的おやつになっていますが、誕生したのはそう古くない1935年ころのことでした。

当時の大阪は製造業が盛ん。労働者を目当てに並ぶ屋台のなかには、水で溶いたメリケン粉を型に流し、ネギなどを入れて焼いた「ラヂオ焼き」の姿も。ラヂオ焼きは子どものおやつには良くとも、大人を満足させるものではなかったそう。大人を喜ばせたい、と考えたラヂオ焼きを営む「会津屋」の店主は、肉入りを焼くなど試行錯誤を繰り返していたのですが、ある日店先でタコと運命的な出会いを果たします。それは、お客さんの「明石の玉子焼きにはタコが入ってるで」のたった一言。

タコは今より安価で、旨み十分。これならいける! と、店主は粉やダシに手を加え、醤油と塩で味付けたラヂオ焼きを完成させました。「たこ焼き」と名付けて売り始めると、安さとウマさで徐々に人気を得ていきます。現存する会津屋ですが、この初代の試みがたこ焼きの誕生だったと言われています。

その後大阪からたこ焼き職人が増えていくのですが、全国各地に散らばった職人がたこ焼きをつくる姿は、お客さんにウケにウケた。「料理は奥の厨房でつくる」と思われていた時代、たこ焼き職人がいちびってくるくると焼いて見せたことが、“食べる前から面白い”と新しい発想をもたらします。それが、現代のオープンキッチンやガラス張り厨房などの“見せる”商売を発展させることに。

安価なもんをいいもんに変える工夫、人を楽しませるいちびり精神。たこ焼きを生んだ大阪人の特性は、今もこの街に流れています。
いつかまた、第2のたこ焼きが現れるとしたら、それはやっぱり柔軟な発想を持つ大阪人がつくり出すのではないでしょうか。

監修 日本コナモン協会 会長 熊谷 真菜さん

たこ焼き